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全日本だるま研究会
張子や人形などの民芸品にも触れてまいりました
群馬県指定のふるさと工芸品「高崎だるま」を手掛ける代表は、秋の全国大会にも出場する等、常日頃より技術力の向上に努めております。旅先では張子や人形などの民芸品にも触れることで、確かな感性を培ってまいりました。
All Japan Daruma Study Group
No.29に紹介された飯野だるま工芸の代表・飯野雅史の記事を紹介します。今回、秋の全国大会に初参加させていただいた記事です。御覧ください。
秋の全国大会に参加して 今回、初参加させていただきましてありがとうございます。 九月三十日(土)長野駅にやや早めに着いたため、東口一階の「駅そば」で野沢菜わさびわかめそばを食ると続々と会員の方々が集まり、はなやかな雰囲気でバスの旅が始まりました。 最初に訪ねたのは、郷土人形館「ひなの家」です。館主の宮澤修一さんが趣味で収集した郷土人形がずらりと並び、にこやかに一行を迎えてくれました。
古民家風な趣のある二階建ての私設博物館となっており、各地方のべと人形、瓦人形と呼ばれた「土人形」、おがくずを用いた「練人形」、紙で作られた「張子」などが展示してありました。どれも色彩豊かで時の経過と共に味わいを重ねてきて、大切に展示されていることがわかりました。一つ一つが個性的であり、庶民に親しまれてきた郷土人形の産地もいつしか減少にあると聞き、その保存の意義を考えるのでした。鯛をくわえた戌の土人形に不思議と見人っていると、周辺の人形も夜の即売会に持って行くので、包んでくださいと声がかかり、なるほど、楽しい趣向が用意されているのだなと合点がいったのである。一行は外に出て、青空のもと集合写真を撮り、次の場所へ向かいました。
信州・小布施に着くと、葛飾北斎・福島正則・小林一茶とゆかりの古寺である曹洞宗梅洞山岩松院に立ち寄りました。本堂の大間天井絵に江戸末期嘉永元年(八四八年)、葛飾北斎が最晩年の作品であるとされる「八方睨み鳳凰図」を拝観しました。周囲は胡粉・下地に白土を塗り重ねたとあるが、胡粉のひびが目立たぬよう水膠などが配合され、その調整にひと工夫あるのか興味深いものである。白土の大胆な塗り方や鳳凰の線の強さは先日、NHKの番組内で、北斎の娘の存在も特集され、話題となったところである。目を引くのが朱・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍などの顔料の色合いとどこから見ても鳳凰の目が合う大胆な構図である。それにしても当時の絵の具代だけでも百五十両とは見当もつかず、多くの人々の協力と熱意による寄進につながったのであろう。合掌。
山里の古寺を後にしてから、ほどなく小布施の桜井甘精堂に着き、昼食までのわずかな散策時間となりました。時季の焼き栗を賞味しながら、数軒の土産物屋を訪ねましたが、やはり目につくのは張子・人形などの民芸品で、「和紙の中條」では、首を振る愛嬌のある顔立ちの戌の張子を買い求めました。親戚のご夫婦がかつて少しだけ生産していた張子を思い出し、懐かしく思えたのです。他の方々も精力的に寸暇を惜しんで回っておられたので、その熱意に感嘆しきりです。甘精堂に戻ってから、皆さんと昼食の栗ごはんをいただき、初秋の信州の味を堪能いたしました。北信州に向かい中野市に入ると、中野土人形を代々継承する奈良家の作業場を見学させていただきました。奈良久雄氏が五代目、奈良由起夫氏が六代月になるそうです。手前側と背中側と半身になった型がずらりと並び、その種類の多さや巧みさに驚かされました。土を一対の型に各々押し当てて、その後二つの型を合わせてくっ付けて乾燥し、庭にある窯にて高温で焼くそうです。窯もお手製の物らしく、手作り感満載です。ご家族仲よく温和に製作に没頭できそうで、温もりのある作品が伝わってきます。中野市東山公園内にある中野人形資料館を訪ねると、右も左も土人形が所狭しと並んでいます。京都伏見の流れをくむ奈良家の「中野人形」は、主に縁起物や愛嬌のある親しみ易い作風が多く見られています。愛知三河の流れをくむ西原家の「立ヶ花人形」は、歌舞伎などを題材とした人形を中心に作られていて昔の和装の柄も雅な感じです。このような二つの種類の土人形が現在も同じ地域内で製作され、中野市としても、「土人形の里」としてその保存に一助をなしていることは、多くの協力が必要であり、他の産地でも参考になると思います。やはり、今でも奈良家の方や、西原家の方が作り続けていることが、一番の原動力になっていると思います。
中野市まちなか交流の家では、奈良さんが作って用意してくれた小だるまを各自が手に取り、絵柄を描いてみるという絵付け体験をしました。参考になるよう姫だるまを手前に置き、筆先に塗料を付けて、いざ書こうとすると、手元が何故か震えてうまくいきません。中村会長から「飯野さんは、今日は、メガネを忘れてきたので、ピントが合っていないようですよ。」と声をかけられ、周りの談笑を誘ってくださったので、緊張も少しほぐれました。水性塗料が気持ち良いほど絹胡粉の下地に吸い込まれて行くようで、乾きも早く絵付け体験の参考になりました。各自で描かれた作品は、旅の良い思い出と土産品になりました。帰り際、まちなか交流の方や奈良さんが、満面の笑みで挨拶してくれたので良い交流になったと思います。「こちらこそ、ありがとうございます。」野沢温泉の千歳館に到着すると、夜の宴席で行う即売会の準備が始まり、皆、慣れた手つきで並べたり、値札を付けたりしているのですが、すでに、買いたいモードの熱量がすごく、まだ、温泉にも浸かっていないのに、額に汗がにじんでいます。即売会では一巡目で、また目が合ったあの鯛をくわえた成の土人形を買わせていただき、二巡目で七転八起のだるまの土人形、三巡目で大きな金だるまに必勝と書かれた土人形を買い求めました。それと、仙台の松川だるまと博多のだるまとまだまだ数点買わせていただきました。部屋に戻るとまずは荷造りをし直し、明日に備えて、ゆっくりと温泉に浸かりました。満足。満足。
翌日は路線バスの出発予定まで旅館周辺の温泉街を散策し、あけび細工の河野平作資料館を訪ねました。あけび細工は、野沢温泉村の農閑期の産業として百六十年前に安信氏により考案され、河野虎之助氏が優れた技法を伝承したということです。現在の鳩車の形を作った河野平作さんが、長野産業文化博覧会に出品し、皇太子妃(現在の皇后陛下)の目にとまり、献上した鳩車の様子が放映されるや爆発的な人気となったそうです。
周辺は豪雪地帯でもともと冬場にツル細工のカゴなどを作っていたそうです。時がたち飴色に変色したツル細工のかごにカエルが織り込まれて遊び心があるものや、実用的なかごも展示してありました。
表に出て看板を見直すと、「鳩爺の臼穂家」とは、平作さんが付けた山小屋の名前です。山の小屋に泊まり込み仕事をしていると世間のことはうすらいで、うすらぽけると栗・蕎麦を挽く臼と栗の穂の文字をかけ合せたということです。静かな環境で手元の作業に没頭できるのも、現在ではなかなか手に入らない幸福なことかもしれません。源泉麻釜(おがま)から旅館・千歳館に戻る途中にもお土産屋が並び、あけび細工の鳩車もあれば、今ではフジのツルの鳩車もあり、いずしても製作者が少なくなっているようです。
路線バスと電車を乗継いで長野駅まで行き、一旦ここで解散となり自由行動となったのですが、善光寺の参道へ向かい、昼食の蕎麦を食べに行きました。広島から参加されたご婦人方と相席になり、大変おいしくいただきました。 後日、写真も手元に届きありがとうございます。
今回、初めて秋の全国大会に参加させていただき、ご準備された関係者の皆様に心からお礼申しあげます。
まだまだ初対面だったり、細かい会話まで至らなかったところもありましたが、回を重ねて行くうちに互いに知り得るところも増えていくと思い、今後も機会があれば参加していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
全日本だるま研究会より
飯野だるま工芸 代表 飯野雅史
古民家風な趣のある二階建ての私設博物館となっており、各地方のべと人形、瓦人形と呼ばれた「土人形」、おがくずを用いた「練人形」、紙で作られた「張子」などが展示してありました。どれも色彩豊かで時の経過と共に味わいを重ねてきて、大切に展示されていることがわかりました。一つ一つが個性的であり、庶民に親しまれてきた郷土人形の産地もいつしか減少にあると聞き、その保存の意義を考えるのでした。鯛をくわえた戌の土人形に不思議と見人っていると、周辺の人形も夜の即売会に持って行くので、包んでくださいと声がかかり、なるほど、楽しい趣向が用意されているのだなと合点がいったのである。一行は外に出て、青空のもと集合写真を撮り、次の場所へ向かいました。
信州・小布施に着くと、葛飾北斎・福島正則・小林一茶とゆかりの古寺である曹洞宗梅洞山岩松院に立ち寄りました。本堂の大間天井絵に江戸末期嘉永元年(八四八年)、葛飾北斎が最晩年の作品であるとされる「八方睨み鳳凰図」を拝観しました。周囲は胡粉・下地に白土を塗り重ねたとあるが、胡粉のひびが目立たぬよう水膠などが配合され、その調整にひと工夫あるのか興味深いものである。白土の大胆な塗り方や鳳凰の線の強さは先日、NHKの番組内で、北斎の娘の存在も特集され、話題となったところである。目を引くのが朱・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍などの顔料の色合いとどこから見ても鳳凰の目が合う大胆な構図である。それにしても当時の絵の具代だけでも百五十両とは見当もつかず、多くの人々の協力と熱意による寄進につながったのであろう。合掌。
山里の古寺を後にしてから、ほどなく小布施の桜井甘精堂に着き、昼食までのわずかな散策時間となりました。時季の焼き栗を賞味しながら、数軒の土産物屋を訪ねましたが、やはり目につくのは張子・人形などの民芸品で、「和紙の中條」では、首を振る愛嬌のある顔立ちの戌の張子を買い求めました。親戚のご夫婦がかつて少しだけ生産していた張子を思い出し、懐かしく思えたのです。他の方々も精力的に寸暇を惜しんで回っておられたので、その熱意に感嘆しきりです。甘精堂に戻ってから、皆さんと昼食の栗ごはんをいただき、初秋の信州の味を堪能いたしました。北信州に向かい中野市に入ると、中野土人形を代々継承する奈良家の作業場を見学させていただきました。奈良久雄氏が五代目、奈良由起夫氏が六代月になるそうです。手前側と背中側と半身になった型がずらりと並び、その種類の多さや巧みさに驚かされました。土を一対の型に各々押し当てて、その後二つの型を合わせてくっ付けて乾燥し、庭にある窯にて高温で焼くそうです。窯もお手製の物らしく、手作り感満載です。ご家族仲よく温和に製作に没頭できそうで、温もりのある作品が伝わってきます。中野市東山公園内にある中野人形資料館を訪ねると、右も左も土人形が所狭しと並んでいます。京都伏見の流れをくむ奈良家の「中野人形」は、主に縁起物や愛嬌のある親しみ易い作風が多く見られています。愛知三河の流れをくむ西原家の「立ヶ花人形」は、歌舞伎などを題材とした人形を中心に作られていて昔の和装の柄も雅な感じです。このような二つの種類の土人形が現在も同じ地域内で製作され、中野市としても、「土人形の里」としてその保存に一助をなしていることは、多くの協力が必要であり、他の産地でも参考になると思います。やはり、今でも奈良家の方や、西原家の方が作り続けていることが、一番の原動力になっていると思います。
中野市まちなか交流の家では、奈良さんが作って用意してくれた小だるまを各自が手に取り、絵柄を描いてみるという絵付け体験をしました。参考になるよう姫だるまを手前に置き、筆先に塗料を付けて、いざ書こうとすると、手元が何故か震えてうまくいきません。中村会長から「飯野さんは、今日は、メガネを忘れてきたので、ピントが合っていないようですよ。」と声をかけられ、周りの談笑を誘ってくださったので、緊張も少しほぐれました。水性塗料が気持ち良いほど絹胡粉の下地に吸い込まれて行くようで、乾きも早く絵付け体験の参考になりました。各自で描かれた作品は、旅の良い思い出と土産品になりました。帰り際、まちなか交流の方や奈良さんが、満面の笑みで挨拶してくれたので良い交流になったと思います。「こちらこそ、ありがとうございます。」野沢温泉の千歳館に到着すると、夜の宴席で行う即売会の準備が始まり、皆、慣れた手つきで並べたり、値札を付けたりしているのですが、すでに、買いたいモードの熱量がすごく、まだ、温泉にも浸かっていないのに、額に汗がにじんでいます。即売会では一巡目で、また目が合ったあの鯛をくわえた成の土人形を買わせていただき、二巡目で七転八起のだるまの土人形、三巡目で大きな金だるまに必勝と書かれた土人形を買い求めました。それと、仙台の松川だるまと博多のだるまとまだまだ数点買わせていただきました。部屋に戻るとまずは荷造りをし直し、明日に備えて、ゆっくりと温泉に浸かりました。満足。満足。
翌日は路線バスの出発予定まで旅館周辺の温泉街を散策し、あけび細工の河野平作資料館を訪ねました。あけび細工は、野沢温泉村の農閑期の産業として百六十年前に安信氏により考案され、河野虎之助氏が優れた技法を伝承したということです。現在の鳩車の形を作った河野平作さんが、長野産業文化博覧会に出品し、皇太子妃(現在の皇后陛下)の目にとまり、献上した鳩車の様子が放映されるや爆発的な人気となったそうです。
周辺は豪雪地帯でもともと冬場にツル細工のカゴなどを作っていたそうです。時がたち飴色に変色したツル細工のかごにカエルが織り込まれて遊び心があるものや、実用的なかごも展示してありました。
表に出て看板を見直すと、「鳩爺の臼穂家」とは、平作さんが付けた山小屋の名前です。山の小屋に泊まり込み仕事をしていると世間のことはうすらいで、うすらぽけると栗・蕎麦を挽く臼と栗の穂の文字をかけ合せたということです。静かな環境で手元の作業に没頭できるのも、現在ではなかなか手に入らない幸福なことかもしれません。源泉麻釜(おがま)から旅館・千歳館に戻る途中にもお土産屋が並び、あけび細工の鳩車もあれば、今ではフジのツルの鳩車もあり、いずしても製作者が少なくなっているようです。
路線バスと電車を乗継いで長野駅まで行き、一旦ここで解散となり自由行動となったのですが、善光寺の参道へ向かい、昼食の蕎麦を食べに行きました。広島から参加されたご婦人方と相席になり、大変おいしくいただきました。 後日、写真も手元に届きありがとうございます。
今回、初めて秋の全国大会に参加させていただき、ご準備された関係者の皆様に心からお礼申しあげます。
まだまだ初対面だったり、細かい会話まで至らなかったところもありましたが、回を重ねて行くうちに互いに知り得るところも増えていくと思い、今後も機会があれば参加していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
全日本だるま研究会より
飯野だるま工芸 代表 飯野雅史